Holy Fool

つかの間の私を、永遠の私に捧げなさい Sri Anandamayi Ma


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菩薩の顔

NHKの日曜美術館をみて感動した
きょうは画家の絹谷幸二さんをとりあげていた
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2013/0210/index.html

彼の作品というと色カラフルな
ポップでちょっと風刺的な感じがするものしか知らなかった

アトリエに絹谷さんをたずね
仏像を描く過程を取材していた 

スタッフが「壊しているみたいですね」と言うと

「壊しているんですよ」

「ここが我慢のしどころなんです」
テクニックで描くと絵がうすっぺらいものになってしまうという

興福寺にあるその二対の仏像もすごかったが
絹谷幸二さんの絵の菩薩さまは迫力があり同時に
慈悲があってお顔がどこか絹谷さんに似ていた

「いま」だから 描いたという

そして最後に泣いているのかとおもわれるような
うるんだ目で心情を語る絹谷さんのbeingに震えた

絹谷さんが菩薩になっていた

若い頃は 
物質 カタチあるものはすべて壊れていく
という無常観を感じていた

年齢をとり
親や友人たちがなくなっていく いま
カタチとして残るもの 表現できるもののなかに
カタチなきものが生きていく

上記のことばは正確ではないかもしれないが
インタビューで語ることばと姿に
私は釘付けになってしまった

色即是空  空即是色

かたちのあるもの
かたちのないもの

顔のあるもの
顔のないもの

つかのまのもの
永遠なるもの

私のなかに絶えずあるテーマに
光がさしたように感じた

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それ

ノートに2011年12月27日と日付が記入してあった
自分が書いたのだけれど
自分が書いたようでもないような
おもしろいのでここに記す

 私はそのものが立ち現れてくる「それ」そのもの

 立ち現れてくるカタチ、現象は 私ではなく私でもある

 そこにどんな名前をつけようと 私である「それ」はそのままで

 触れられることがない

 私が名前をつけ 感情がうごくとき

 それらは 「それ」の上で展開される劇のようなもので

 どんなことが立ち現れても 夢であり遊びである

 私は夢を夢と知り 味わい 遊ぶ

 夢の中では 手柄も挫折もなく

 「それ」としてみているそのものがあるだけ

 「それ」は離れてはいなく 私と呼ばれるものは

 「それ」にとけている

 私は「それ」であることを忘れ

 展開されていくものをコントロールできる または

 コントロールできない 個別な存在として躍起になる

 「それ」のなかで起きてくる現象は

 私の責任なのだろうか

 私が「それ」であり 神であるとき

 目的もなく 責任もなく

 愛である意識だけが

 愛であることを知るために

 謎をつくりだす