Holy Fool

つかの間の私を、永遠の私に捧げなさい Sri Anandamayi Ma


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Meeraのことば

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自分に響いてくることばというのはその時々で違うが
今回の能登でのMeeraのことばには
ハッとして じわ~っとしみ込んでくる感覚に何度も包まれた

これまでは切れ味のいい禅スティックのような一言
ユーモアがあってパンチのきいたことばが残ったものだ
というか そういったことばがその時の私にタッチするものだったのだろう

霊的うんぬんに関心のない彼女だが
天と直結した巫女Meeraを私は時々感じている

Meeraが言ったことばとして正確ではないかもしれないが
私はこうきいた   として印象に残ったことをシェアしたいとおもう

グループルームに韓国のオーガナイザーがつくってくれた?という横長の
Meera歓迎幕が張ってあった
そこにはOsho の文字もあったがMeeraの文字のほうが大きかった
マスターであるOshoより自分の名前のほうが大きいなんて畏れ多いみたいに感じ
自分はOshoをまつりあげていないか(こういう表現ではなかったかもしれないが)
Oshoを上にして自分を過小してはいないだろうか とおもったという

私はMeeraからこういうことばをきくとはおもわなかった
OshoというマスターにたいしてMeeraほどdevotion(捧げる)そして 帰依ということばが
ふさわしいひとを私は知らない

今回MeeraはOshoを描いた新作の原画をみせてくれた
それが鉛筆、木炭などのドローイングでなくアクリルで描いたときいて
ぶったまげてしまった
アクリルでOshoの顔 このヒゲ描いたの?!!!
描いていたこの冬 自分は画家なんだろうか と何度も窓から絵を放り投げようとしたという

この絵はOshoへの愛 
弟子である私たちへの愛
Meera自身への愛   存在に対する限りない愛の表現だ

私たちは毎日桜の花を描いた
絵をかくのがつまってきたとき何をするのか
Meeraは「私はおとうさんとおかあさんをおもいうかべる」と言った
(絵に招待する・・・だったかもしれない)
そうするとまた絵がかけるようになる と

私も幹がおもうように描けない時 亡くなった父をおもいうかべてみた
すると「おめが描ぐ絵はどだなだっていい」・・・・・お前が描く絵はどんなものでもいい
という父の声がきこえてきてうれしくなった 気が楽になった
その線はたとえ変でも未熟でも あたたかい

夕食になってもMeeraが姿をみせずナイトペインティングを
何時からはじめるのかわからない日があった
表に行くとやっぱりひとりで夜の桜を描いていた

気迫に満ちていて近づきがたいものを感じたが
「ミラ」と声をかけると
「来ないで!」

「何時から?」
「好きにして」

Meeraの「来ないで」は私に深く美しく響いた
私は人生で 迷いなく この「来ないで」を言っているだろうか
それはNOとか ものをハッキリ言うということではなく

ひとや物との一期一会
この大切な二度と来ない瞬間への敬意のことだ

次にこの桜と出会える保障はない
私たちも自然の一部として常に変化の中にある

もうひとつ付け加えると
私がパートナーと組んでみんなの前でシェアしたあとに
表で桜を描くことがあった
たまたまMeeraの近くで描いていた私に
「ひとのふりみてわがふりなおせ だね」という声がきこえてきた
「あのシェアはヘナが自分自身に言ったことばかもしれないね~」

えっ それどういうこと?
Meeraは時々 禅の公案のようなことばをなげかけて私をかき乱す

そして何年か経ってそのことがわかったりするのだ

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ダイナミック瞑想  OSHOライフトレーニング2014

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「ダイナミック瞑想は何歳でもできる」というスヴァギートのことばに励まされて
今回も右肩があがらないところから私のダイナミック瞑想は始まった

7泊8日の能登でのOSHOライフトレーニングはMeeraのパートナーである、
ドイツ人でセラピストのスヴァギートがダイナミック瞑想、クンダリーニ瞑想をリードしてくれるという
スペシャルかつとてもありがたい毎日で学びと気づきの日々となった

このアクティブな瞑想のすばらしさは体験するしかない
それも私の見解では続けて4日以上
OSHOはまずは21日間やりなさいと言っているが3日目あたりで身体の痛みのために
やめてしまうのは非常にもったいない

50歳を過ぎて私もひとりでやるのだったら 
肩は凝って腕はあがらない、
ジャンプすると膝は痛い、飛ばなくてもフーを下半身に打ち付け響かせることさえつらい
腰は悪いし体力的に無理・・・ となるところだ

結論からいうと ダンスで腕をあげて踊ることさえできなかった右肩が
1週間後にはあがるようになり膝の痛みはなくなり
鼻づまりが消え第3ステージのフーのおかげで声が深いところからでるようになった

スヴァギートは私たちの様子をみて
毎日違うアドヴァイスと説明をしてくれた

私の瞑想をたすけてくれたのはこの点だ
第2ステージでのカタルシスで声をだすときの野生の動物、
モンスターになりきるエクササイズ
そして第3ステージ フーの音を自分の声のフーで
まわりのひとのフーがきこえないくらい強く出すということ

第1ステージの混沌とした呼吸、第2のカタルシスも
こういうのじゃ駄目という見本をみせてもらえたことが良かった

サニヤシンになって22年 ダイナミック瞑想はインドのOSHO瞑想リゾートで
一時期毎日のようにやったけどこの年齢になっても新しいことが起こることが
驚きだ

というのは第2ステージのカタルシスで
自分とまわりとの間に一枚の薄い膜があって
私とは関係のないところで劇が上映されてる感覚が起きたことだ

これは自分にとっては画期的なことである
他人から影響をうけやすい霊体質を自称している私はこれまで
第2ステージは他のひとのゴミをうけないようにがんばる?必死のステージだった

それが私の向こう側で一切が起こっていたのだ
それで愉快になった私からはネイティブな民族の
意味不明の詩のような音がろうろうとしばらく出続けた
ダイナミック三日目のことだ

しかし最終日には
叫ぶ声ではなく私の近くに低いうなるような声を発する人がいて
私にはその音が耐えられなくて信じられないほどのカタルシスが起こった
まあお互いに助けあっているということだろうか

アクティブな瞑想を苦手とする自分を熱く語らせるダイナミック瞑想のすごさ

いまは正直 家で一人でやる気は起こらないが
感情面で問題を感じているひとにとってはすばらしい薬になる

処方する医師がいるように瞑想をリードするひとの重要性がある
Meeraのダイナミック瞑想リードも毎回すばらしく今回はスヴァギート
私たちは本当に恵まれている

あともうひとつ
いいアイディア 素敵なことが起こっても
それを掴まず手放し続け 変化を許すということを彼は言っていた

ネガティブもポジティブも執着すると停滞する
自然は動き続けている