Holy Fool

つかの間の私を、永遠の私に捧げなさい Sri Anandamayi Ma


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「時を超える聖伝説」

ボブ・フィックス「時を超える聖伝説」を取り寄せて読んだ

「 いま明かされる人類の魂の歴史/ 創生・レムリア・アトランティス
 新しい次元へ 」
という副題がついている

この本は10年ほど前に読んでひとにあげてしまったが
友人と話していて マーリンという名前をきいたら
急にまた読みたくなった

本のくわしい内容は忘れてしまっていたが
ある箇所で胸がいっぱいになり泣いたことを覚えている

いつそこに出会うかと
楽しみに読み進めていったが
いっこうにそれらしきところがない

いったいどの箇所で私は泣いたのだ
泣けるような本ではないのだ

本の半分くらいまでは
これほどわくわくする本をこのところ読んでない
とおもうほどおもしろくてひきこまれ読んだ

びっしりとページをうめつくす細かい字もなんのその
読み終わるのがおしい
とまで感じていたのに

あと三分の一というあたりから
急にすすまなくなった

内容的にはアトランティスに入ったあたりから
なぜかダメになった

そのへんからはぼんぼん飛ばし読みをして
なんとか最後まで読みきった

前回ブログの「宇宙スイッチ」ではないが
突如スイッチが切れて興味を失った感がある

20対80という法則があって
自分に必要なところは
本の20%らしいので
これでもいいのかな

印象に残ったところ

「神は善と悪を創造しなかった」

「只よいととてもよいだけが存在していた」

わたしたちが経験することは
よい と とてもよい ことだけなのか

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宇宙スイッチ

前々回ブログのながれから
ニール・ドナルド・ウオルシュ氏の本「神へ帰る」を書店でみつけたので
早速買って読むことにした

文庫サイズで字が小さく読むのに時間がかかったが
ここは!とおもうところ以外は
ぱあーっとすべるように読みすすめていった

印象に残る箇所というのは読む時期によって違うとおもうが
折り目を付けたところが10箇所
さらにそこを読んでみて5箇所になり
その5箇所を読んだら

ああ 今回はここ1箇所のために読んだのだな
とおもった
以下に引用します

 『 あなたが混乱してとまどい、宇宙に答えを求めているとき、必死にものごとを把握しようと考えている部分のスイッチを切って、すべての答えにアクセスできると知っている部分のスイッチをオンにすれば___つまり何をすべきかを決めようとするのではなく、どうありたいかを選べば___ジレンマはたちどころに解消し、解決策が魔法のように現れることに気づくだろう 』

そう  ここに私はある疑問に対するひとつの答えをみつけた

ときおり私はおもってもみなかった行為をしたり
自分でも意外なことばを口にして
まわりを驚かせ 本人が一番驚くようなことが起こる

その理由をあとで頭で考えるのでよけいややこしくなり
理解されないまま 自分でもわからないままになることがあった

それは宇宙スイッチが
何の拍子か 入ってしまっていたのだ

そうか そうだったんだ
理由なんてなかった

「ごめんなさい。 自分でもわからないんです。
このことであなたを傷つけたのなら許してください。」
私が言うことができることばはこれだけだったんだ

「ごめんなさい。宇宙スイッチが入ってしまって。
だからたぶん このことは正しいんです・・・」とは言えない

宇宙スイッチは入れようとして意図的に入れられるのだろうか

私の場合は いまのところ
突然ぽっと電気がつくような感じで入る


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以下に3月18日~24日までの占星術サイト
石井ゆかりさんの「筋トレ」乙女座の週報をのせたいとおもう

3月16日に予期せず私はここでいうところの
「立ち入り禁止」内にあしを踏み入れることになり
半年間続いていたモヤモヤに終止符をうった

怒り、恐れ、悲しみなどの強い感情を表現できないまま
「手放した、手放した」と自分に言い聞かせ

相手を理由にしていたが
結局は表現できないでいる自分を許せず自分をいじめていた
自分自身を尊重していなかったのだ

このできごとの発端は去年の8月の事故だったが
今生においての私のテーマのひとつでもあるようだ

表現者として 創造者としての在り方

おまえはおまえの真実を生きているか

あー こうやって書くとかっこいいけど
なんとむずかしく かっこわるくあがいたことか!

友人たち 目に見えない存在たちのサポート
ホ・オポノポノにもたすけてもらったが
この週報を読んで 宇宙からの後押しもあったことに感謝した

しかし みてみないふりをすることはできない
自分をごまかすことはできないのだ
存在は何度でもカタチを変え 目の前に差し出してくる

かなりたいへんだったが
自分を尊重することが
相手をも尊重することになるのを理解した

———————————————–

  乙女座 2013/3/18-3/24の空模様。

人間関係における諍いやストレス、面倒事が
今週を境に、きれいにきえてなくなりそうです。
あるいは、こじれきって、沈黙の中にあった関係が
「対話のテーブルに着く」状態に、シフトするのかもしれません。

ここまで貴方が積み重ねた努力が
その扉を開く力に変わる、ということなのかもしれません。
あるいは、貴方のジャマをしていたいくつかの要素が
うまい具合に消えていく、ということかもしれません。
または、貴方の中にあった躊躇や遠慮を
ここで思い切って、踏み越えていくことができる、
ということなのかもしれません。

いずれにせよ、
人間関係において今まで
「立ち入り禁止」だった場所に
貴方が進んでいけそうな小道が見えると思います。
進むか進まないかは、貴方の選択次第ですが
少なくとも「ただ何か起こるのを待っていよう」という気分には
おそらく、なれないだろうな、と思います。

                       


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受け入れないものは、変えることができない

VAST STTILNESSで紹介している
「必要の幻想」と「恐れ」について  ニール・ドナルド・ウオルシュの動画をみた

とてもよかったので 急に「神との対話」の本を開いてみたくなった
① ② ③と読んでいまだに3冊とも手元においてある
手にとるのはいつも③だ

何箇所かに折り目がついていたのでそこを読んでみた

そしてこの厚い本の中で1箇所だけ
緑のペンで線がひかれているのをみつけた

「受け入れないものは、変えることができない」

そしてそのことばの前に
「何かをしっかりともつまでは、それを手放すことはできない。
 何かを捨てるには、まず所有しなければならないのだよ」
 という神のことばがあった

う~ん なるほど


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私の十字架 ②

ありのままの自分でいてはいけない
「ありのまま」でいると拷問を受けてつらい死に方をする

このような「恐怖の種」がほとんどのひとに
うめこまれているのではないか

そんなことをおもったのは
最近知ったMさんのブログで紹介していたYOUTUBE動画の「恐怖の種」をみたからだ
1回目に目にしたときは「この動画をみてはいけない」的ななにかが働き
2回目には「これは私が見るべき動画だ」と直感し
①~⑦までみてスティーブ氏の誘導のままにエクササイズもしてしまった

ここで語られていることは非常に私にヒットした

たとえばただ自分自身でいることで花開いていた能力が
一部の人に恐れられ 魔女にされて火あぶりなどつらい死をとげる
すると次回の生では もうこんな死に方はしたくない という声をきいた
守護者(モンスターと呼んでいたが自分自身でもある)が
似たような場面になる手前で恐怖を感じさせる
肉体は細胞レベルでそれを感じ今一歩はふみだされないまま
肉体は安全だが そのひと本来の光はとじこめられてしまう

しかしその光に脅威を感じるひとたちが必ずいるらしい
光をかくすことはできないのだ

埋められた恐怖の種は根をはり それが幾世にもわたって続いていく

なんと守護モンスターは恐怖を私たちに感じさせることで
私たちを護っていたのだ

ふうーーっ

エクササイズでは
まずは守護モンスターに感謝をして
本当に自分自身を解放したいかどうかを自分に問うことからはじまる

自分に許可を与えることが必要なのだ
もちろん このままでいいです と言って
解放しないことを選択することもできる

解放を自分に許可すると今度はモンスターではなく
守護者として自分をバックアップしてくれる存在となるようだ

振り返るといろんな場面で
いかにモンスターが私をまもるために働いてくれていたかがわかる

自分でいることは本来簡単なはずなのに
もっともむずかしいことになってしまった

「私は何者であるのか」
ストーリー上の私が遊んでいるだけなのか

http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%81%90%E6%80%96%E3%81%AE%E7%A8%AE&aq=-1&oq=&ei=UTF-8


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私の十字架  ①

たいそうなタイトルだが 「私の 」というより 私たちの
と言ったほうがいいかもしれない

記憶というのはどこで始まりどんな感じで保存されていくのだろう

私は小学校低学年頃から いやもっと前からかもしれないが
毎晩みる怖い夢に悩まされていた
夢の最後に つづく の文字がでてきて実際つづきをみたり
どんなに怖くてもこれは夢なんだから と夢の中で夢をみていることを
意識していることもあったり とにかく見続けていた

眠ると必ず怖い夢をみるから「起きている 絶対眠らない」と言って
母を困らせ、しかし眠気には勝てずまぶたがくっつくと唾をつけて
指で開こうとしたことを覚えている

夢の中で幼い私は誰かに追われていつも逃げていた
いつも隠れていた 
追っ手にみつかると私はライオンに食べられたり必ず殺されてしまうのだ
指名手配のようになっていてみつけたひとは私を殺してもいいことになっている

逃げるのは一人の時もあったけれど
もう一人か二人 仲間らしきひとがいっしょだったりした

息をひそめて隠れていると「見つけたぞ」と
誰かの目があらわれ もうだめだと恐怖の頂点で夢はさめる
ヘトヘトになって朝を迎え「また おっかない夢みた」と家族に報告するのだった
金縛りもしょっちゅう体験していた

小学校の何年生かはっきり覚えていないがたぶん3年生か4年生頃に読んだ
漫画の「踏み絵」に強烈にとらわれたことがあった
それは隠れキリシタンを題材にした漫画で
ほとんどの信者はイエスさまの描かれた絵を踏まず
崖から飛び降りたり火あぶりにされたりしていた

踏むよりはイエスさまを 信仰を選んだのだ
それは拷問や死を意味する
私は隠れキリシタンに感情移入して「私だったらどうするだろう」と
授業中もずっと考えているようなこどもだった

「死」をひどく恐れていたので 死ぬのは絶対絶対イヤだというおもいがあった
同時に踏み絵を踏んでしまう弱い裏切り者の自分をも許せず
崖から飛び降りるのだけど途中ひっかかって命はたすかる
とかうまく逃げ出すことばかり考えていた

漫画のストーリーなのに一時このことは小学生の私の大きな課題だった
誰も私にそんなことをきくひとはいないし
家には仏壇があってクリスチャンでもなかった

けれども祭りの出店ではかならず十字架のペンダントを買い
ふろしきを頭にかぶって遊ぶその姿は
まさに修道女だった

誰が私に教えたのだろう
情報はその漫画だけだったのだろうか
その頃そんなTVをやっていたのだろうか

いまならそれは過去生の強烈な記憶
またはスクリーンでみせられあたかも体験したごとくにおもわせる
エマネーションと呼ばれるもの ということで納得もするが・・

何を言いたいかというと
それら子どもの時に夢の中で感じたものすごい恐怖は
表舞台にたつこと めだつこと 
自分は何者であるかを表明することへの恐れにつながっていったということだ

暗いところに隠れていると安心する感覚と
太陽の下 人々の前に自分をさらけだすことへのこわさと欲求を
いつも同時にかかえていたようにおもう 


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出来事は起こり続けるが

『 起こっているすべてのことは
 「あなた」の人生を本当に生きているものは何なのかを見るように
  仕向けている刺激なのです 』 レオ・ハートン

結局は ここ にもどってくる・・・

この出来事は起こってほしくて
この出来事は起こってほしくない
起こってほしくない出来事が起こった  ああ~~
という大騒ぎを
しなくなる日はくるのだろうか

                    
『至福はあなたが獲得できる何かではなく、本質的にあなたがそうであるものです。
それは、その中で相対する痛みと喜びが生じる<気づいている空間>です。
それは、万物がそこから現れ、そしてその中にまた溶解していく、深遠な静寂です。
それは、原因のない喜びであり、困難に影響されることはありません。
鏡が、映るものに影響されないのと似ています。
あなたは<それ>であり、あなたはその中に「あなた」と現在の痛みが映される鏡です』                              レオ・ハートン

「わたし」という鏡は
映るものを自分とおもうのをなかなかやめられない

「わたし」という鏡が
映すものを引き寄せ、変えられるという希望をもっている

そんな「小さいわたし」を
めんどうをみてあげようとおもう

 『そもそも何かが存在しているという本当の謎は脳やマインドには解くことはできません
  というのは、脳もマインドもこの謎の一部でありあるいは、この謎の表現だからです』  レオ・ハートン

謎が謎を解こうとしてるんだね・・・
はあ~  (と ため息)

              レオ・ハートン 翻訳は「resonanz360」
http://resonanz360.com/2013/02/25/%e8%87%aa%e7%94%b1%e6%84%8f%e5%bf%97%e3%81%a8%e8%87%aa%e7%94%b1-%e3%82%b0%e3%83%ac%e3%83%83%e3%82%b0%e3%83%bb%e3%82%b0%e3%83%83%e3%83%89/