Holy Fool

つかの間の私を、永遠の私に捧げなさい Sri Anandamayi Ma


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問い を発すると

意識と無意識 潜在意識 といった目に見えない領域と
物質 映像としての現われとの関わりが
ここ数日 ずっと気になっていた

さらには無意識 潜在意識のなかの
インナーチャイルドの位置づけは
ヒプノシスとホ・オポノポノでは違うのか・・などなど
なぜだかわからないが このことにとらえられてしまった

なにか気になるととことん追求する姿勢が
2013年になって さらに拍車がかかってきたように感じる

気になる
というのは 誰でもない私が気になるのだから
これは 神(宇宙でも存在でもいいけれど)から私に与えられた恩寵なのではないか

少し大げさだがそんなふうにまで
あれやこれやのあとに
いま 感じている

自分の目の前に展開していく現実に
なにか気に入らないものをみつけると
この原因になったものはなんだろう と追求してしまう

私の内側が先で 現実という映像が後なら
私の内側で何が起こったのか?
私個人が原因なのだろうか?
本当に内側が先なのだろうか?
これは卵とにわとりみたいなもので相互に影響しあっているのではないか?

などなど
潜在意識とインナーチャイルドということで
ホ・オポノポノにくわしい友人に尋ね
阿頼耶識ということばをもらい
やりとりしているうちに そこからシンクロが起こり
また導かれ を繰り返し
ようやく 腑に落ちる ところにたどりついた

ホ・オポノポノとして言えば
クリーニングするためにこのことが起きている
ということである

私個人に起きていることは
すべてのひとにつながっている

すべてのひとにつながっている それ は
あるとき 私に起きて私の気を引き
誰かに起きて 誰かの気を引く

そして このことは究極的に
自分は何者か の問いにつながっていく

はあ~  (・・ため息というか深い呼吸)

 

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2件のコメント

ある決意

友人Kと話していて
「なぜ地球に来たんだとおもう?」ときかれた

何の目的で?
なにをするために?なにかを感じるために?
この肉体を持って
人間業界に・・・

私はかなり前にうけたクラニオセイクラルhttp://healingart.jp/
のことをおもいだしていた
それは3人のひとが同時に私1人にやってくれるボディワークのセッションだった

途中3人の若いウエスタン女性が
私をかかえるカタチになったとき
「ほら 行く? 行かない? 行く? 行かない?」
と天使たちの声になり

私は「怖い でも行きたい 怖い でも行きたい」と
笑いながら

「行く~~~~!!!!!」と言った途端
天使たちが手を離し 行った場所はこの地球だった

それでKの質問に
「驚きたいからかな」と答えていた

そして 「なあーんだ こわいくらいの驚きを味わいたくて
自分が選んで体験してたのね」と二人して大笑いした

いままでは無意識だったけど
これからは意識的に驚きを選択しようとおもう

恐怖やつらいできごとでの驚きは
過去生もふくめてもう充分に味わったから終わりにする

これからは楽しくて喜びに満ちた驚きを味わうことを決意する

わたしたちは二元性の世界に生きているから
たとえば 「心地よい」 を選ぶと
同時に 「心地よくないもの」 のあらわれも許すことになる

「心地よくない」 を体験してただ過ぎさせればいいが
 なぜ起こったのだろう
 なぜ 私に
 それを避けるにはどうしたらいいんだろう
になると 「心地よくない」 は問題になってしまう

より解放された感じ
自由 をかんじるのは
無選択でいることだ

意識的に
喜びにあふれた楽しい驚き を選択して
何が起こるかをみる決意をする


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ヒカリと物質と

このYou Tube動画を久々にみつけた

1年半程前に「地球人のためのスピリチュアルレッスン vast stillness」
で紹介されていて、ジャマイカ人の彼のファンになった

この動画で彼はすごいことを言っている

なにがすごいかというと 
・・・・・
まったく うまく言えない

それは
まさに彼が言うところの
情報としてのヒカリをみていて
実際にはそれを体感してはいない 生きてはいないからだとおもう

私の頭がすごく抵抗するのを感じる

それを生きたら
生はシンプルで軽やかになるだろう

vast stillnessであと二つ彼の動画を紹介していて
とても興味深いものだったが まだみつけられないでいる

20代のころ 旅先で具合が悪くなり
ジャマイカ人のひとと会って元気になったことを思い出した

ジャマイカという土地にも惹かれる


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菩薩の顔

NHKの日曜美術館をみて感動した
きょうは画家の絹谷幸二さんをとりあげていた
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2013/0210/index.html

彼の作品というと色カラフルな
ポップでちょっと風刺的な感じがするものしか知らなかった

アトリエに絹谷さんをたずね
仏像を描く過程を取材していた 

スタッフが「壊しているみたいですね」と言うと

「壊しているんですよ」

「ここが我慢のしどころなんです」
テクニックで描くと絵がうすっぺらいものになってしまうという

興福寺にあるその二対の仏像もすごかったが
絹谷幸二さんの絵の菩薩さまは迫力があり同時に
慈悲があってお顔がどこか絹谷さんに似ていた

「いま」だから 描いたという

そして最後に泣いているのかとおもわれるような
うるんだ目で心情を語る絹谷さんのbeingに震えた

絹谷さんが菩薩になっていた

若い頃は 
物質 カタチあるものはすべて壊れていく
という無常観を感じていた

年齢をとり
親や友人たちがなくなっていく いま
カタチとして残るもの 表現できるもののなかに
カタチなきものが生きていく

上記のことばは正確ではないかもしれないが
インタビューで語ることばと姿に
私は釘付けになってしまった

色即是空  空即是色

かたちのあるもの
かたちのないもの

顔のあるもの
顔のないもの

つかのまのもの
永遠なるもの

私のなかに絶えずあるテーマに
光がさしたように感じた


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他人のなかに自分をみる

他人は合わせ鏡 外にみるものは自分の一部
といったことばをきくと なるほどと思う反面

いや いくらなんでもこの人のこのような面は
自分には決してない 自分は持っていない この場合は違う と
たいていはエゴが強く抵抗するものだ

それを 今朝 ささいなことではあるがみることになった
自分が小さいこととおもっているだけで
相手には脅威なことであったかもしれないと
いまおもう

私は過去に
自分がまるで脅迫されているように感じる場面が何度かあった
あくまでも自分がそう感じるのであって
相手はそんなつもりはないのだろうが

 さあ どうする?
 いま 決めて  待ってあげるから
 ここにとどまるか それとも去るか?
 それを選んだらどういうことになるか

など など とにかく
「あなたに決めさせるけど すべては私のてのうちにある」といったエネルギーで
相手はためすように私の前に立っている

たいていは威圧されて自分でいられなくなり
不本意なことを言ってしまい
そんな自分をみたくないからそのひとを避けるか
本来の自分ではない人物を演じることになる

そして こんなふうには言いたくない
自分にはこんな面はないわ とおもうのだ

だが
今朝の母に対する私の態度はまさに脅迫のエネルギーだった

いわゆるパワートリップは
なんらかの部分で立場が上の強者が弱者に対してやってしまう
強者といっても それを使わないと
強者になれない弱さを持っている

私の場合は
運転ができる私 とできない母の間で起こった

予約をしていて車で連れていってもらえないと困る母に対して

ああ 吹雪だ みえない あぶない
予約取り消しにできるんじゃない
きょうに限ってこんな天気
どうする?

などなど 天気が悪いのがまるで母のせいのように
何度もくりかえしていた

母は私を怒らせるとまずいので
気をつかっているのがわかる

きょうはそんな自分のいじわるさにふと気づき
これまでけっこう小さなことでやっていたなあと反省した

私にとって脅威とおもえたことのひとつが
自分のなかにもしっかりあったことを認めた


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神に失恋する

DSCN2639

2月4日の朝 まだはっきり目覚めきっていないときに
いままでいた空間から
違う空間におしやられた感覚が起こった

薄い膜でおおわれていたのが
誰かが針でプシュッと穴をあけたような感じで

その日がちょうど立春だったことも関係しているかもしれない

ここのところ というか
1月中ずっとだったようにもおもえるが
作家の高橋たか子さん言うところの「神に失恋した」状態が
続いていた

私のなにかがそれを認めたがらず
うまくいっているふりを自分に対してしていたようだ
そしてその内側の失恋状態を
外側の何かでうめ 頭で納得させようとしていた

家の中でなくした針を
中は暗いから 明るい通りでさがす という寓話のように。

4日の朝 「通り」から「家」に入った感覚はあったものの

まるで試すかのようにその日私を動揺させる場が設定された

いつもはフル回転するマインドがおいついていかず
身体が疲れ果て 瞬間ヒーリングQE  というのを
自分に試していたらすごく深い眠りにはいってしまった

その夜に友人から薦められたyoutubeヴィデオをみて
同じ画面の右側にでていた知らないおじさんを
なにげにクリックしてしまった

ふだんならチラッとみて 終わりにするのが
そのスピリチュアル男性の他の動画も次々みてしまった

というのも そのクリックした場面で
自分は歯が痛いのだが 痛みを感じてただみている ということを言っていて
これが私をとらえてしまった

翌日 またこの男性の動画をさがしていたときに
エックハルトトールのこの動画に出会った

自分が「神に失恋した」状態を
エックハルトトールのこのヴィデオをみて理解した


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つながる遊び

「神との対話」ではないが
 時々 目に見えない存在との対話の遊びをする
遊びと言わないと
あやしいひと あぶないひとになってしまうが
これはなかなかおもしろい

私がまず質問をノートに書き
答えをその見えないお方からいただく
答えも私の肉体を使って書いているわけだから
自分が自分に答えているともいえる

だいたいその方は私にきびしい
そしてとんでもないことを言っておどろかす

oshoに質問すると
答えるoshoはほとんど私を笑いとばす

こういうことをするのは
万策つきた とおもわれるようなときで
もう自分の制限された頭では無理 たすけて
とノートを開き

実際とてもたすけられた

これからはもっと頻繁に
意識的につながる遊びをしてみようとおもう

山形の自然神とつながってみた

太陽に感謝
風に感謝
緑に感謝
土に感謝
空気に感謝

小学生のころは
あたりまえに風と話していたことをおもいだした